リアルな毎日をこなす、というか、「動く」時間が増えたのだな、と実感している今日この頃です。
さて。B11「花の鎖」を塗り終わりました。
感想を少しだけ。
塗り始めたばかりの頃から、ずーっと「自己受容」と「自分で在る」事と、「心の強さ」を鍛えられていた感じがします。
B11の対応タロットは「強さ」ですが、まさにこの「強さ」を鍛えられた感じ。
具体的には、私はずっと「過去」と向き合っていたようです。
先日、記事にも書いた中国での過去生ですが、記事を書いた後にも、その時思い出せていなかった事を思い出す思いだす。そしてそれに向き合う。
過去で一緒だったその人は、魂的に見るととても「古い」お付き合いで、本来の魂の姿はとても素晴らしい人だし、お互いに助け合ってきた親しい間柄、なのだと解っているのですが。
過去の経験だけを見ていくと、「アンタあの時あんな事を私にしたよねー」っていう話に。。なっていくのです。
で、見えない次元で、その相手と、そういうぐちゃぐちゃっとしたやり取りを、しばらくしていた。
どうして私は、そんな古い過去の話を未だに蒸し返すのだろう。相手はもう「許してくれ、もう二度としない」と言っているというのに。
その人は、今この三次元に転生しているようなのですが、多分、私が許せていないから、会えないんだろうな。
たぶんね、こういう低い次元レベルで、パートナーがどーの、ツインがどーの、
とか言ってるから、いつまでたっても混乱のラビリンスから抜けられない。
いわゆる「究極のツイン」は、低い次元(三次元)には居ないな、と、私は思う。ツインの話はこの前、タントラワークの話のついでに書いたから、ここには書きませんが。
もとい。
相手と向き合っているようで、実は自分自身の課題と向き合っていたようです。
「鏡」というキーワードが、たくさん出てきました。
私は、過去生から引きずってきた「古い習慣」を手放す作業をしていたんですね。
ほんっとに、魂的に古いお付き合いのその人には、気づかないうちにたくさん助けてもらっている。見えない次元でしか会ってないけど、今回も私の「鏡」の役をして、変容ワークをずっと手伝ってくれていた。
私が苦しい時にサッと現れて、私が乗り越えたと思ったらスッと居なくなって。。ある意味、わきまえ過ぎてて嫌になっちゃうよ。(笑)
もう数年前にクリアしたはずの課題が、過去生を思い出すと共に、また少し浮上して、それを乗り越えるという作業をしていました。
でも、いっぺんに過去生を思い出していたら、多分乗り越えられずに潰れていただろうな、と今なら思う。だから、少しずつ、徐々に、一つクリアしたら更に乗り越えるべき課題を思い出し、それをまたクリアして。。という感じなのだろうと。
あの中国の過去生は、随分昔の転生なんだよね。少なくとも前世ではない。なのについ先ほど経験した過去のように思える。それほど、あの過去生には課題が山積みで、それを今生までずっと持ち越してきたんだろうね。
ここ3年ほどの間、無意識層を直接触って、あの過去生や、自分自身を癒してきた。
でも最近は、もう無意識層に潜らなくてもいいような気がしている。
先日、土星が天秤座から蠍座に移動しましたね。多分、その影響もあったのかな、と思います。
私は月が天秤座にあります。ここに土星がずっと重なっていたんだよね。月って、自分の深い内面とか、インナーチャイルドとか、ペルソナみたいな部分もあり。。確かに、ここ数年はずっとインナーチャイルドが苦しい思いをしていたな、と感じていました。トラウマを癒すワークをしているうちに、インナーチャイルドはハイヤーセルフに統合されましたが。
私が精神世界に足を突っ込み、自分の内面に深く潜ってトラウマ癒しをしていた時期と、土星が月に重なっていた時期がぴったりで。。なんだかなぁ、と思ったりします。
実に様々な経験をさせてもらった時期でもあり、得られたものもたくさんあって、今の私があるのはこの時期の経験のおかげだと思っていますが。
しかし、土星が蠍座に移動したからと言って、全く安心はしていません。←
私は、蠍座には主要な星が3つもあるからです。
金星、火星、水星。
まあ、なんと身近な星が3つも固まって。。土星先生に、感情と行動と知性を鍛えられると。(爆)
今までのは、ある意味前哨戦だよねー。と思ったりします。
私の出生ホロスコープには、天秤座から山羊座までの間に、ほどんどの星が固まってあるからです。orz
土星が蠍座を過ぎたら、当然射手座に入るわけですが、射手座には私の太陽がいるわけで。
まだこれから7年半くらい、厳しい時期が続きますな。(死)
うわー。これ、逆算すると、10代の頃に一番キツかった時期と、土星が今みたいに自分の星に重なってた時期が、ピッタリ合うわ。。恐るべし土星先生。
土星って恐いイメージだけど、内面をクリアにして前向きに過ごしていれば、決してマイナスには働かないはずだし、色々学べるチャンスがたくさん転がってる時期ですよね。
10代の頃はそれが判らなくて随分凹んでいたけど、今は理屈で解っているから、きっと大丈夫だ。おし。あの頃のリベンジをするぞ。(笑)
今は私の人生の中で、ある意味一番「充実」した時期に突入しているのかもしれません。そう思っておこう。(笑)
また少し話がずれたかな。
「あちらから望まれて、都合のいいように使われていた」
夫婦関係にしろ、友人関係にしろ、セッションをするにしろ、そういう関係に何故か陥っている事が多かった。
そんな風にしなきゃ、愛を得られない、という思いこみが強かったのですよ。
そういう自分を捨てて、自由になる。一人で立つ。
という作業の繰り返しでした。もう3年くらい前から。
今回もまた一つ乗り越えて、自分的には、「もう誰もいなくなった」という感覚がありました。縋る相手がいなくなった、という事です。
荒涼とした荒野の中に一人立つ、爽快感のようなものもある。
新たな旅路が始まるんだ。今から。
ひょっとしたら私は、あの中国の過去生に、ずっと縋っていたのかもしれない。
過去に縋って生きる、ていうのは、「私はあんなに凄かったんだ」とか、「私はこんな苦労をしてきたんだ」っていう、「過去の栄光」みたいなものを、「今」に持ち込んで自分のアイデンティティを保とうとする行為でしょ。
そう。どんなにおぞましい過去生でも、自分
にとって死ぬほど苦労して得てきた「経験」って、「栄光」なんですよ。
他人から見たら、どーでもいい事なんですけどね。←
逆に他人の「過去の栄光」を見て憧れたり、共感したりするのは、「投影」であり「依存」です。自分にもそういう要素があるから課題をクリアしましょう、という事です。
確かに、「自信」というのは経験を重ねて得るものだと思う。
経験があればある程「自分」という存在を確立できるのかもしれない。
でも、実はそれって「お荷物」なんですよ。
ハイヤーセルフの次元から見ると、それはある意味、自分を守る為の「鎧」でしかない。
じゃあ、どうやって自分を確立するんだろう。
B11のボトルが終わる頃に現れてきたのは、「今ここに生きる」というサインだった。
過去の栄光に縋るというのは、「過去に生きる」と同じ事。
「過去」に縋らず、「未来」を煩わず、「今」やれる事、やりたい事に集中する。
そうでなきゃ、勿体ないね。せっかく今この地上で、「新たな人生」をやりに来ているのに。
「今ここに生きる」って、この世界ではよく言われているけど、イマイチ感覚で理解できなかった。今ようやく解ってきた。
「今ここ」に生きる事で、「過去の栄光」も統合されるんだ。「過去の叡智」として、今の人生の中で、日常の中で活かせる能力になる。
充実していた過去生が思い出せないのは、ひょっとしたら、もう「今ここ」に統合されているからかもしれない。
私は未だに、「哲学者」だった過去も、「作家」だった過去も思い出せませんもん。でも、何気に生かせてますよね。こうやって文章を書く事で。(笑)
「過去生を見たい」と願ったり、「過去生が見える」というのは、やっぱり、今の自分に自信が無いから、なんですよ。
こんなにたくさんの能力や才能を持っている、本来の自分というものを信じられない。だから自分の過去を見たい。
もちろん、癒す必要のある傷を過去生から引きずっていれば、私みたいにふとした拍子に、頭の中に過去の断片が浮かんでくるのだと思いますが。そうじゃなきゃ、きっと見なくていい物なんだろう。と思います。
自信が欲しくて過去を覗くと、結局「過去に縋る」事になる。
その後、必ず「手放し」が必要になる。手放さないと、「今ここ」を生きられなくなります。
だから、私は無暗に過去生を見るようなワークは、好きじゃないんですよ。
結局、どれだけ自分を信じられるか、なんですよね。
で、「お前はどれだけ自分を信じられるか?」と問われるようなきっかけが、ボトルが終わる最後の最後にやってきまして。
なんかね、今までの自分を、積み上げてきた物を、全否定されたような気分になりました。
それって、私の存在そのものを否定されたかのようなもので。
それでも、以前同じように感じた時よりも、軸はぶれない。
ああ、でも、こういう事は前にもあったな、と、少し落ち着いた頃に冷静に思い出した。
自分が感じてきた事、見てきたものを否定してはいけない。それは「自己否定」だ。と冷静に判断して、感情の波が去るのを待って。
だって、私と同じ経験をした事のない人には解らない世界の話をした所で、理解されるわけが無いのですよ。
理解されるわけが無い、と思いつつ、それで自分が納得するのと、「書かないで黙っている」のとは、全く別の話だな。と思うので、また後で別記事にしてその内容を書こうと思いますが。
こういう点でも、随分冷静に対処できるようになったなぁ、と思います。
以前は間髪おかずに、感情のままに書いていたけどね。(笑)
感情の波が来た時に、立ち止まって「流れを見る」のは大事だな、と思いました。
そういう時の話相手は、「カード」が一番ですね。私は何かある毎に、タロットやオラクルカードをこねくり回しています。(笑)
さて、そんな感じでB11が終わったら、あーキツかったな。ひと山乗り越えた。という感じだったのですが。。
そうだな。「痛みを感じても自分は決して潰れないのだ」という事が解ったかな。
誰だって痛いのは嫌じゃないですか。こんな痛みを感じたら、きっと自分はダメになってしまう、くじけてしまう、と思って怯えていたのです。
が、実は私、相当「ずぶとい」のかもしれない。と、ボトルが終わった後思いましたね。
まあ、そうだよね。ヒューマンデザインのプロファイル3/5の奴が、か弱かったら絶対生きて行けない。元々心が丈夫に出来てるんだな私。と、思う事にしようと。(笑)
「繊細でいて丈夫である」という、矛盾した性質を持っていると、内面的には結構波乱万丈ですね。相当鍛えられます。(笑)
B11は、私の「使命」を現すボトルでもありました。バースボトルもB6だし、とにかくレッド、ピンク系にご縁のある私。今生で積み重ねたい経験が、そこにたくさんあるんだろうと思います。
次に塗るボトルは、まだ迷っています。
今目に付くのは、B87とB61なのですが。
パッと見て目に付いた理由は、色が変わっていたから。
B87の下層はどーも、コーラルからピンクへとアルケミーしているようだし。。。B61は、全体的に色が抜けてる。隣のB59はB61の逆バージョンなのですが、色の濃さが全く違いますね。B61は以前も色が抜けたので一度使って、このボトルはその後お取り寄せしたものなのですが、また色が抜け。。それ以前からずっと居たのに色が変わらないB59との差は何なのだ。と。
このB61、私のハートエンジェルなのです。
めちゃめちゃ働いてくれているようですね、彼女。頑張り過ぎの彼女に、ちょっとお休みをあげたいくらいなのですが。。それにしても、やっぱりピンク系なのね。
ちょっと後ろにある、使いさしのB23は、72天使のボトルなのですが、変容ワークの方が先になってしまってなかなか進まないので、次のボトルを決める前に、まずこのB23に集中して取り組もうと思います。
B23が終わったら、B87かB61のどちらかを塗り始めると思います。