。。。メモに残しておかないと、つい2,3日前の事も忘れてしまうってどーなの。orz
というわけで、メモを見ながら、先日受けてきたPPSでのお話をしようかなと思うのですが。。
PPS。「パーソナル・プレゼンテーション・スキル」の略です。
オーラソーマの受講コースの一つ。
自己表現がテーマって言ったらいいのかな。
なので、いろんな形で自分の「色」を出しつつ、オーラソーマのプレゼンもしていく、という感じなのですが。
色んなものを作りましたね~。(笑)
写真の製作物も、PPSで作ったもの。
「ウェディングケーキみたーいw」
と言われましたが。。。私が作ると何故か、「男性性と女性性の統合」みたいなものが出来てくる。(笑)
自分のハートチャクラを表現したつもりなんだけどなぁ。。
両極の統合、みたいなのが、私の根底のテーマにあるのかも。
このPPSを受ける数日前から、ちょっと具合が悪かった。
久々に凹んで、夕方動けなくなり。。でも、理由が全く分からなかった。
今、B78を塗ってるのもあって、ボトルの影響?と思わなくもない。
確かに、B78はこの時の私の後押しをしてくれてたと感じる。
何がどう具合悪かったのかというと、
理由もなく、物悲しい。涙が出そうなくらい悲しい。
以前なら、誰かの感情を拾ったかな、と思うんだけど、最近はそう思えるほど深いお付き合いをネットでもしてないし、リアルで会った人ならすぐに分かるはずだ
が、心当たりなし。他人のせいだとは思えない、という感じになっていて、自分の中にまだ何かあるな。と思ってはいたのですが、原因に心当たりがなく。
しかしその状態のまま、PPSを受け始めて、皆の前で自分の事を表現しているうちに、だんだん分かってきた。
自分が、今まで自分のやりたい事を否定されてきた、
「自分の事を話しても、やりたい事を打ち明けても、誰も理解してくれない、受け入れてくれない」という状態を、幼少の時期から積み重ねてきた結果、私は自分で、「話しても無駄。だって誰も理解してくれないから」という思い込みを、無意識に刷り込んで来たんだ。
それが、自分に自信が持てない原因になっている。
「自分はこう思う」って言ったら必ず否定されてきたから、自分の言う事に自信が持てなくなってるんだ。
だからね、PPSって、「自分の事をアピール」するような内容でしょ。私は無意識に分かってたんだな。PPSは私が一番嫌がる事をしなきゃいけないワークだという事が。(笑)
意識的には、全然不安じゃなかったんです。
私のブログを長い間読んでくださってる方は、意外に思うかもしれない。。私は、ブログでは結構言いたい放題しているから。(笑)
でもそれは、面と向かって言えない部分を、文章にして不特定多数に発信する事で、バランスを取る行為だったのかもしれない。
いや、決して憂さ晴らしのために書いていたわけではないですけどね。
「書く」ことは私のライフワークから外せない、というのは、占星術で見ても明らかなので。
文章にする、絵にする、形にするという事が、私にとって欠かせない自己表現法なのだと、ここ数日で確信に近いものを得ました。もう迷うことなく書きまくるぞと。(笑)
。。話を元に戻しまして。
問題は、「自分の意志をないがしろにされるのが怖い」という、トラウマ。
うん。トラウマと言っていい。だって、顕在意識ではPPS楽しみにしてたくらいだから。
そうなんだよねぇ。。。二十歳になるまでの間に、随分と自分の意志を踏みにじられた、という記憶がある。
それはほとんど、親との間に起こった事。
私はね~、反抗できない子供だったんだよね。だから反抗期ってなかったの。(笑)
親は、あんまり手のかからない子供だったと言っていた。
その事を思い出しては、悲しくて涙が止まらない、という状態が、数日続いた。
吐き出してしまえば楽になるだろう。。けど、どうやったら全部吐き切れるかな。
と思っていたんだけど、
「早く処理しなくてもいい。味わったらいいよ。その悲しいという感情を」
と、先生は言った。
確かにそうだな、と。
味わいつくしてしまわなければ、また逆戻りになるんだよね。
今まで、感じる事を自分に許さなかったんだ。
今やっと、「自分の意志が聞き入れられない事が、実はこんなに悲しかったんだ」と、当時の事を感じる事が出来るようになった。
だから、気の済むまで味わい尽くせばいい。
しばらく思い出しては泣き、思い出しては泣き、を繰り返した後、いつものように、自分の思いをメモに書き留めていった。
そうしたら、随分と楽になった。
という一部始終を、一緒にPPSを受けていたメンバーにしたら、皆から返ってきた反応は、
「誰でもみんな、自分のやりたい事を否定されてきたんだよ、賛成してくれる人なんていなくて当たり前。そんな気にする事じゃないよ」
だったんだけど、
そう言われてみて、だからそれで納得出来たかというと、実は全くそうではなく、
「結局私の事を分かってない」
と、逆にそういう思いを強めてしまった。
何故かというと。。一言でいえば、
私が欲しい答えは、それじゃないんだ。
「そんなの誰だって経験してるよー。気にする事じゃないよー」
って、言われてそうか~って納得してスッキリするくらいなら、
無意識に刷り込まれるほどにはならないし、
原因不明で体が動かなくなるほど凹んだりしないし、
自分ではそんなに傷ついているつもりはないのに、訳も分からず何故か涙があふれてくる、なんてことはない。
他人からしたらどんなに些細な事であろうと、その人にとっては命に関わるくらいの重傷になる出来事だってある。
カウンセリングやコンサルテーションで求められるのは、私が今まで散々痛い目にあって苦しんできた、「相手に共感する」という能力だった。
話を聞く立場の者は、その人の「鏡」の役割を果たさなければならない。
そんなの大したことないわよ~っていうのは、共感とは全く逆の反応だという事に、気付いているだろうか。
真に共感するためには、相手と相当の痛みを、経験していなきゃいけないのだな、と、この時、改めてそれに気づいた。
長くなってきたので、続きは次回。